トランジスタ時代のイギリス

キルバーンのグループでは、MEGの開発と並行してもうひとつの別のプロジェクトが動いていました。新素材・トランジスタを使って、より小型で省電力なコンピュータを構築しようという試みです。このプロジェクトを主導したのはリチャード・グリムスデイルで、彼らは1953年11月、世界ではじめてトランジスタ・コンピュータを動作させることに成功しました。通常語られるコンピュータ史では、ベル研究所TRADIC (1954) が最初のトランジスタ・コンピュータであるとされており、この方面にもマンチェスタ大学の先駆的業績があったことは見逃されがちです。

もっともグリムスデイルのコンピュータは、1命令あたり30ミリ秒もかかり、信頼性も高くないという、実用にはまだ遠いものでした。しかしキルバーンらはトランジスタ機への全力投球を決意します。1956年、彼のグループはMUSEという超高速トランジスタ・コンピュータの開発計画をスタートしました。それは当時としてはきわめて野心的な、1マイクロ秒/命令という動作速度の達成を目論んだプロジェクトで、キルバーン自身も大学や企業から援助を引き出せるとは思っていなかったようです。MUSEプロジェクトは乏しい資金と使いまわしの部品をやりくりして、独力でプロトタイプを組み立てざるをえませんでした。

しかしキルバーンらは、決して見当違いの方向に進んでいたわけではなかったのです。ほとんど同時期に、実はアメリカの有力メーカたちも同様の超高速コンピュータ開発に着手していました。IBMのSTRETCHこと7030や、スペリランドのUNIVAC LARCなどです。こうした動きが明るみに出たことで、キルバーンらは1958年に、再びフェランティからの資金援助を受けられることになりました。プロジェクトはMUSEからATLASと名を変え、打倒IBM/UNIVACに向けて飛躍しはじめます。

これら超高速コンピュータたちのなかで、最初に運用がはじまったのはLARCでした (1960)。次がSTRETCH (1961)。ATLASは最後 (1962) でしたが、1.59マイクロ秒/命令という理想に近い数値を叩き出し、世界最高速の実用コンピュータという地位を獲得します。

ATLASはその速度だけでなく、仮想メモリ (と、それによる本格的タイムシェアリングを行うOS) を実用化した最初のコンピュータという功績でも知られています。これもまたアメリカのMultics (GE-645) に3年先行するものでした。