機械は判断しない

19世紀初頭のイギリスでは、精巧なオートマトンに対して、単なる物珍しさ以上の関心が集まっていました。完成度の高い人形は、東インド会社を通して高値で中国に売り捌くことができたからです。ケンペレンの人形に対してこの国で一歩踏み込んだ研究がなされたのは、このようなオートマトンによる実益と、産業革命による工学の発展とが、がっちり噛み合っていたためでもあるのでしょう。

当時イギリスで数多く出された「ターク」研究のなかで、とくに大きな影響力を持つことになるのが、ロバート・ウイリスという若い数学者の記した匿名のパンフレットでした。彼は「ターク」が見た目以上に大きな空間を隠し持っていることと、不必要に大きなノイズを出して動作していることに気付き、内部に人間を隠す方法を多角的に検証しました。そしてそれだけでなく、そもそも機械には特定の入力に対して特定の結果しか返すことができないのだから、さまざまなゲーム展開が想定されるチェスに巧く対応することなど不可能であるという原則を述べています。今風にいえば、機械はインタラクティヴにはなりえないというわけです。ピアノを弾くオートマトンもあれば、文字も書くオートマトンもある。しかしチェスをプレイするオートマトンは、そういうものとは根本的に違う。こればかりは人間の知性だけに許された領域に踏み込んでいる。彼はそう断言したのです。これは当時としては、きわめて説得力のある論理でした。

それから10年ほどのち、万華鏡の発明者として知られる光学の第一人者、デビッド・ブルースタ卿は、俗信・迷信の類を科学的に解剖した「自然魔術の書」という当時のベストセラーを著しています。ウィリスの説はこれに引用され、広く一般に知られるところとなりました。

「自然魔術の書」が出版された1835年、「ターク」はおりしも全米ツアーに出ていたところでした。この頃までにヨーロッパでの人気は下火になっていましたが、アメリカではいまだ人気衰えず、自動チェス人形は偉大な発明であるとして、多くの街で驚きをもって迎えられました。アメリカではかなりの知識人たちまでもが、純粋に機械であると信じてしまったようです。このころ雑誌編集者としてのキャリアをスタートしたばかりだったエドガー・アラン・ポオは、そんな状況を苦々しく見つめながら、ブルースタの「自然魔術の書」に目を通していました。

「自然魔術の書」もまだ十分に正体を解明しきれていないと考えたポオは、「メェルゼルの象棋さし」という有名なエッセイを執筆し、さらに一歩踏み込んだ謎解きを披露しました。「ターク」のトリックをめぐる論争は、このエッセイの発表をもってひとまず落ちついたようです。しかしポオの謎解きも、結局はウイリス流の「機械は判断しない」という主張に沿ったものに過ぎませんでした。

ポオはこのエッセイで、最高に高度な知的機械の代表として、当時イギリスで国家プロジェクトとして開発が進んでいたバベッジの階差機関 (彼の最初の自動計算機) を引き合いに出し、これすらも「ターク」に比べればはるかに下等なことしかしていないということを強調しています。皮肉なことに、バベッジがウイリスとは正反対の結論に達しようとしていたことを、ポオは知らなかったのです。たしかに階差機関自体は、単なる特定目的の計算機に過ぎません。しかしポオが「メェルゼルの象棋さし」を著したのと同じころ、バベッジはチェスのプレイまで可能にするであろう新型計算機・解析機関の構想を真剣に考えはじめていたのです。