Ampexの子供たち

これまでにも何度か述べてきたことですが、アタリ設立者のノラン・ブッシュネル氏とテッド・ダブネイ氏は、もともとアンペックスというヴィデオ機器メーカの研究員でした。そしてまた、アタリ初期に重要な貢献をしたエンジニアたちの大半も、何らかの形でアンペックスに籍を置いていたことが知られています。たとえば「ポン」開発者のアラン・アルコン氏、最初のエンジニアリング責任者ロイド・ウォーマン氏、「タンク」に携わったステフェン・ブリストウ氏、そしてアタリVCSの基本デザインをまとめたグラスヴァレー・シンクタンクの面々。改めて考えてみると、アタリはアンペックスの落とし子だったといっても過言ではないように思われます。

ヴィデオゲームの革新者となるような人材を、アンペックスがこれほど多く抱えていたのは、おそらく偶然ではありません。その社史を紐解いてみると、彼らがきわめて早くから半導体技術に接近していたことが分かります。そうなるきっかけを作ったのは、面白いことにソニーでした。アンペックスが世界最初の商用ヴィデオテープレコーダ・VR-1000を発売したのは1956年のことですが、ソニーはその2年後に、アンペックス方式で国産ヴィデオテープレコーダ第一号を完成させています。これはトランジスタで設計されたはじめてのヴィデオ機器でした。アンペックスはその技術に注目し、1960年からソニーと特許技術の共有を開始します。ソリッドステート技術を飛躍的に進歩させたアンペックスは、インスタントリプレイやフレーム単位での編集といった、シビアなタイミング制御が必要となるさまざまな技術を、ライバル他社に先駆けて次々と開拓していくことになります。

こうしたフレーム制御の革新と並行して、アンペックスはコンピュータにもアプローチをかけはじめています。まず1963年にコンピュータ用のデジタルテープメディアを送り出し、1968年にはハードディスクの要として知られるMRヘッドを発明。1969年に入社したノラン・ブッシュネル氏が最初にあてがわれたプロジェクトも、高速デジタルレコーディング装置の開発だったといいます。