シンクレアリストたちの産業革命

こうしてZXスペクトラムは、シンクレアの預かり知らないところでオープンアーキテクチャへと変貌を遂げました。やがて「リヴィウ」の設計図はどこからともなく外部へ流出し、1988年までに相当数のZXスペクトラム互換機がソ連邦内で自作されるようになっていました。このころソ連ではアンダーグラウンドなコンピュータハッカーのことを「シンクレアリスト」と呼び慣わしていたほどです。それまでの自作パソコンとは比較にならない高性能ぶりで、ZXスペクトラムはポスト・ラジオ86RKの地位を築きつつあったわけです。

シンクレアリストたちの拠点となったのは、ソ連第二の大都市・レニングラード (現サンクトペテルブルク) です。ここは西側文化の窓口であると同時に、軍需産業の密集するテクノロジの先端地帯でもありました。ハッカーを育むのには最適な土壌だったわけです。ソ連におけるZXスペクトラムの探求は、当初きわめてアンダーグラウンドに行われていました。しかしコーペラチフが認可されるようになったことで、異変が起こります。ラジオ86PKと同様に、シンクレアリストたちのクローン機もまた、市販品として流通するようになったのです。

そうして1988年、大量生産タイプの第一号として、モスクワというクローン機が登場します。基本的にキットとして流通していたもので、よほど生産数が少なかったのか、今日このマシンに関する情報はほとんど残っていません。これに追随して次々と新しいクローン機が発売されるようになり、二年後にはレニングラードだけで二十機種以上が存在するまでになっていました。ZXスペクトラムは、もはやひとつの標準規格といえるものになっていたのです。

初期のクローンのなかでもっとも人気を博したのは、ペンタゴンと呼ばれるモデルでした。これはモスクワの後期型に手を加えたもので、セミキットで提供されていました。拡張性に秀でた設計を特色としており、本家スペクトラムと違って最初からプリンタポートやディスクドライブなどをサポートしています。

このペンタゴンに迫る勢いだったのが、もうひとつの雄・レニングラードシリーズです。こちらは当時もっとも安く入手可能だったクローン機で、可能なかぎりシンプルかつコンパクトに設計されていました。ただしあまり単純化しすぎたため、初期型は互換性が不十分になっていたといいます。しかし1991年発売の後期型ではこの点が大きく改善され、各種拡張ポートや本格的キーボードを備えるなどして安っぽい印象からも脱皮。人気は急上昇しました。一部には軍需工場を借りて生産されたものがあるなど、信頼性にも配慮していたようです。

本場イギリスでもよく知られたソ連製クローン機としては、ホビットがあります。初等教育とビジネス用途での活用を念頭に置いた堅牢・多機能なマシンで、標準でネットワーク機能やCP/M, FORTHなどを装備しています。およそ1万5000台が製造され、イギリスでも若干数流通しました。またロシア海軍の水中探査に用いられたことでも知られています。

個性的なクローン機はその他にも多数存在していますが、きりがないのでこのへんにしておきましょう。