「クレイジーコング」はUPL開発だった?

「クレイジーコング」の基板は、本家「ドンキーコング」ではなく、それより一年ほど前に出ていた「クレイジークライマー」(日本物産) の基板に依拠した設計だったことが知られています。任天堂から許諾を受けていながら、その基板を直接コピーさせてもらうことができなかったのは、製造時点では任天堂接触がなかったためです。赤木真澄氏の『それは「ポン」から始まった』によると、「クレイジーコング」は事後承諾されたものだったということです。

なんにせよ、異なるハードウェアで動かすとなれば、それに合わせてソフトウェアを解析・改変しなければなりません。しかしファルコン自身にそこまでの技術力があったとは思えません。少なくとも「クレイジーコング・ジュニア」のコピー作業は外注だったことがはっきりしているので、ファルコンが行っていたのは実質的に製造と販売だけだったと考えるのが妥当です。

基本的にコピーゲーム専門だったファルコンですが、じつは一作だけオリジナルゲームを残しています。1982年に世に出たとされる「ドロドン」がそれです。ユニバーサルの「レディバグ」 (1981) を改変して作ったと思われる、とてつもなく知名度の低いゲームですが、興味深いことに、この開発を担当したのが設立後まもないユニバーサル・プレイランド (のちのUPL) だったようなのです。ファルコンが「ドンキーコング・ジュニア」のコピー問題で摘発されたあと、「ドロドン」の権利はUPLに移譲されており、1984年発売のMSX版にはUPLの名前だけがクレジットされています。

ということは、ひょっとすると「クレイジーコング」の開発を手がけたのも、UPLに連なる人々だったのではないでしょうか…? などとも思ってみたのですが、西澤龍一氏 (現ウエストンビットエンタテインメント代表) にいただいたコメントによると、『確かに当時UPLはファルコンと取引関係がありましたが、私が入社するまでゲーム開発部隊は存在していなかったので「クレイジーコング」は他の会社で製作されたものと思われます』とのことでした。

ところで、UPLの実質的なデビュー作とされている「マウサー」(1983) の開発にも携わっていた西澤氏は、このゲームが「ドンキーコング」の基板を使用することを前提に開発されたものであり、制作にあたって確かにそのプログラムを解析していた、と述べています。
UPLとファルコンの間に直接の接点はなかったにしても、こういった類似点があるのは興味深いところです。私は「マウサー」基板を直接目にしたことはないのですが、資料を見る限り、ハーネス構成が「スペースインベーダー」流であるというのも、「マウサー」と「クレイジーコング」の顕著な共通点のようです。これもまた、同時期に「クレイジークライマー」の技術を応用していた他の会社 (テーカンやオルカなど) には見られない特徴ですね。

ファルコンとUPLの繋がりを示す材料は他にもあります。「『NOVA 2001』 (1983) の基板にはファルコンのロゴの入った部品が見られる」というAX56000氏の証言です。UPLは「ドロドン」の権利とともに、アーケードの余剰部品なども引き継いでいたと見て間違いないでしょう。うがった見方をすれば「マウサー」は、処分に困った「クレイジーコング」および「クレイジーコングジュニア」の基板や部品を片付ける目的で開発されたゲームだったのかもしれません。事実海外では、基板あるいはキットとしてしか販売されなかったようです。

ちなみにファルコンという会社は、現在はもう存在していません。彼らはのちにイーグルという会社を興してスロットマシン方面で再起しています。これも1998年には倒産していますが、ファルコン/イーグル元社長は現在もその方面でご活躍です (本人のご名誉のため、ここでは詳細に言及しないことにします)。

参考: