ジュール氏への反論 (1) - 可変かつ数値化可能な結果

ジュール氏の六要素に対する否定的な見解は、今のところそれほど多くは見られないとはいえ、皆無というわけでもありません。反論者がとくに槍玉に挙げるのは「可変かつ数値化可能な結果」です。これはもともと『ルールズ・オブ・プレイ』が提唱した要素ではあるのですが、結果を数値化できないという理由でMMORPGテーブルトークRPGを古典的ゲームの枠から外す考えかたは、コスティキャン氏からの強い批判に晒されています。ただし古典ゲームの歴史全体を見れば、これらがきわめて異質な存在であるということは、氏にも否定できないようです。

「可変かつ数値化可能な結果」に対しては、もうひとつ別の反論もあります。たとえばアクションゲームやシューティングゲームの大半は、仮にハイスコアやステージクリアといった要素がなかったとしても、プレイしているだけて十分に楽しいではないかというものです。つまりゴールは単にプレイヤのモチベーションを維持するための道具に過ぎないとする考えかたです。こういった反論をする人の多くは、法則に戯れる面白さと、ゲームプレイに興じる面白さを混同しています。積み木遊びやゴム鉄砲遊びなどを考えれば分かるように、何らかの法則に従ってものを作ったり壊したりする行為は、ゲームになっていなくとも娯楽たりえるものです。スコアやステージを取り払ってしまったら、後に残るものはゲームではなく、本質的にはこれらと変わらない「遊び」です。

ゲーム中だとそのことが妙に分かりにくくなるのは、法則世界を知り尽くしマスターすること自体もまたゲームになりうるからでしょう。やりこみの段階に入ったゲームプレイ (RPGのアイテム探しなど) は皆そうですし、スポーツなどでパーフェクトゲームを狙う状況も、概ね同じようなものだといえます。こういった法則探求ゲームの結果が、しばしば数値化不可能なものになることがあるのは否定できません。たとえば隠れアイテムをいくつ見つければどれだけ優れている、というような指標は、定量化されていないことも多いでしょう。しかし定量化されていないときには、あまり目に見えるかたちで法則探求ゲームが発生していないことも事実です。