東ドイツのコンピュータ開発史

東独はヴィデオゲームを国家レベルで推奨していた珍しい国で、早いところでは1980年に「ポン」型ゲームがユースセンターに設置されたりしていました。

社会主義経済でありながらコインオペレイテッドなアーケードゲームさえ生み出しています――といっても「ポリプレイ」 (1985) が最初で最後のものですが。これはアクションゲーム8本をセットにした筐体で、東独の解体とともにほとんどがうち捨てられ、現存する実機はわずか数台しか確認されていないという代物。著作権者も東独国家とともに消滅しており、現在MAMEで動作するROMがフリー公開されています。

ゲーム内容はいずれも1970年代レベルの素朴なものでしたが、それでも若者たちは熱中したそうです。やがてこの様子を知った国家当局は、コンピュータゲームをスポーツとして公式に認知するという、驚くべき政策を掲げました。この背景には西独への対抗意識が働いていたと考えられています。西独ではこの前年、アーケードが少年犯罪の温床になっているとして、子供が公にヴィデオゲームに接することを禁止する法律が成立していました。しかし東独はその真逆を行ったわけです。

この政策はコンピュータ開発にも影響を与えました。文中に登場するKC85にわざわざジョイスティックポートが用意されていたりするのも、おそらくそのためです。ちなみにKCシリーズの末弟にあたるKC Compactは、珍しいアムストラッドCPCクローン。ベルリンの壁崩壊の1989年にリリースされたため、あまり数は出回りませんでしたが、他の東欧諸国にはないアプローチとして注目に値します。